【荒川区】東京大空襲をも乗り越えたレンガの外壁。帝国湯裏で三河島の街を見守っているかのようでした。
銭湯が多いことで知られる三河島は、昭和の雰囲気が色濃く残る街です
三河島のキング・オブ・銭湯と言えば帝国湯でしょうか。1916年(大正5年)創業の風格がある銭湯です。
1945年3月10日は東京大空襲があった日です。3月10日はメディアなどが、戦争の悲劇が風化しないように特集を組みます。フジテレビ系列newsイット!は帝国湯を特集しました。
帝国湯には東京大空襲の傷跡が残されています。女湯にある日本庭園には柊の木などが植えられていますが、木の根元には焼夷弾が落ちた痕があります。
こちらの写真は2021年に撮影した女湯の日本庭園です。筆者はその時、他界された先代の女将から柊についてのお話を聞きました。
「うちのの柊の葉は丸いの。普通、とがっているでしょう。でも、だんだん丸くなっていったの。」
どうして、帝国湯の柊の葉は丸いのだろうと思い調べました。柊の葉は樹齢が進み老木になると、だんだん葉の棘が丸くなるそうです。この柊の木は長い間、帝国湯の歴史を見守ってきたのでしょう。
番組では戦火を乗り越えた赤レンガも映されていました。2025年2月に撮影した帝国湯裏にあるレンガの外壁です。手前側更地になっていたので露わになっていました。帝国湯の柊の葉のようにレンガの角はとれ、ひびもありますが、まだまだ崩れそうにはありません。帝国湯は歴史の語り部でもありました。
三河島駅周辺は昭和を感じる場所がいたるところにあります。近代の歴史を残す街です。帝国湯はそのような三河島の街をこれからも見守っていくでしょう。
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